文脈の妄想

気づいたことや思ったことを書き留めていきます。基本的に引用や推敲しているわけではなく、学術的な視点で見ればあくまで適当です。読みにくい部分もあるかもしれません。異論反論、その他ご指摘もあればお気軽にどうぞ。コメントは基本的にお返しします。

百田尚樹氏講演会中止についての覚書

一橋大学KODAIRA祭での百田尚樹氏の講演会が中止になった。在学生の反対の署名などが影響したとのことである。

百田氏本人はこのことに関して自身のTwitterで「サヨク」による圧力があったとコメントし、彼の支持者はたかだか100名程度の反対活動で(一橋在籍の学生は学部・大学院合わせて約6000人)中止に押し切るのは民主主義を踏みにじる行為である、と息巻いている。

そもそもKODAIRA祭実行委員会が百田氏に講演を依頼したということが問題アリな気がする。本記事ではまずそのことについて触れたい。

KODAIRA祭 百田尚樹講演問題

一橋新聞によると、集客目的で、百田氏に本人の政治的な思想などには触れないよう依頼するので留学生やマイノリティの不安を煽ることはないだろう、という感じである。だが、結局のところ問題は「百田尚樹という人物を呼ぶこと」にあったはずである。

集客が期待されるほどの人物であれば、実際に講演で本人の政治的な思想に触れなかったとしても、百田氏がヘイトスピーチに加担する人物である、ということは留学生が知っていてもおかしくはない。そのような人物が自分の大学に講演に来る、とわかれば、百田氏が何を言うか、という不安だけではなく、そのような人物を呼ぶ大学も結局はそちら寄りなのではないか(このあたりはマイノリティ本人ではなくても感じる人はいるだろう)、と学生生活全体に不安を抱くことになりかねない。

こういったことを考えれば、百田氏に講演を依頼するということにならなかったはずである。今回の中止の決定は、多数決うんぬんではなく反対の声を聞いて実行委員会がなるほどと気づいたのだろうと推測するが(公式では「KODAIRA祭の理念に沿うものではなくなってしまった」ことと警備上の問題を述べている)、思慮が浅かったのではないかと思わざるをえない。

 

ついでに、百田氏を擁護する側の、多数決の原理を援用した実行委員会への反論についても触れておく。

実際、一橋内部生とはいえ100人強の反対の声はいささか少なすぎるように思える。いくら単科大学とはいえ6000人を超えていることを踏まえると、「少人数が無理やり中止に押し切った」と考えることはそれほど不思議な事ではないかもしれない。

学園祭に誰を呼ぶかは実行委員会の裁量に任せられているし、その点では自由である。が、この決定自体、所詮100人にすら満たないであろう少人数の委員会による決定である。そもそも百田氏を呼ぶかどうかを多数決にかけたわけでもなんでもない。学園祭自体に興味もなければ誰が来ようと知ったこっちゃない、という学生もいるだろう。決して百田氏の講演に関しては「反対100対賛成6000」ではない。

仮に反対と賛成の非が上記の通りだったとしても、そもそも反対運動が起きた事自体問題なのではないか。学術の場をベースにしていたり、極端な思想の持ち主でない人物の場合、基本的に誰を呼んでも、講演を決定した時点でこれほど大きな問題にはならなかっただろう。反対の声は一橋の教員や外部の人間にも見られたし、実際学園祭は一般にも開かれる点で大学内部のみの問題ではない。世間の大学の評価にも関わるだろう。

さらに言えば、マイノリティの不安を煽るであろうという問題もある。少数派の意見・心情を無視するというのは多数決の原理を後ろ盾にした「暴力」でしかない。なんでもかんでも多数決に訴えるというのはいささかやりすぎである。

言論弾圧だ、という主張もあったが、それを言うなら講演の依頼が来た時点で「政治的思想を喋るなとは何事だ」と言うべきだった、という話もあるかもしれない(当時のツイートまで遡ってないので実際にはあったかもしれない。あったらスミマセン)。少なくとも場所を問わず何も喋るな、というレベルではないので、一橋への非難を含めて自分が喋っても許される場所で喋ればいい。

 

ともあれ、本当に「泣き出す女子大生」がいたのなら、当日無理やり呼んで同様の反対運動が起きるよりは白紙に戻してしまって正解である。実行委員会の今回の判断はそれなりに英断だったのではないか。

まぁ、百田氏としては支持者の声が届いて自分の「正しさ」を再確認できた、という点ではいつもの構図である。